アマキオトについて about amakioto
伊東歌織が主宰するダンスプロジェクト「アマキオト」は、元々は2012年に伊東が府中市にある民家を活用したオルタナティブスペースで初めて自主公演を発表した時の作品名でした。劇場と違い、昔ながらの民家に残る床の間の形状や縁起の良い祝儀敷きの八畳間という空間は独特で、ただダンスを気軽に発表するような雰囲気ではありませんでした。半年前からリサーチや民家でのリハーサルを重ね、場所の特異性を活かした振付を探るべく、先ず初めに着目したのは日本の儀式を代表する神楽の在り方でした。「神様に踊りを捧げる」ことを目的とする神楽の中に、イザナギとイザナミの二神が優雅に睦み合う姿を表す鳥舞という演目があり、南部神楽の修行は先ず鳥舞から始められるそうです。実際の鳥舞は間近で見るととてもパワフルで無駄がない美しさがあり、何よりも踊っている人が「自分が踊ろうとしない」「上手く踊ろうなんて思ったことがない」という話にカルチャーショックを受けました。
2011年まで劇場を中心に活動していた私が「自分が〇〇をしたいのではなく先ずは場所の声を聴き、空間からテーマを紡ぎ出す」という創作方法を初めて手にした時、目から鱗の連続でした。それまでの創作は自身の身体性の追求と発想のオリジナリティを重要視し、公演を行う空間とは全く別の稽古場で多くの時間を割き、いわば外から持ち込んだ身体をそのまま上演に持ち込んでしまうことが殆どでした。空間によって制約が起こり場に合った身体が創られてゆき、動きが自然と導き出されることの面白さと不可思議さに触れたことにより、自身の踊りに対する世界観の拡がりを感じました。それ以降、作品を考える上で「場所性」は切っても切り離せない重要な課題となり、「身体は所詮、お供え物?」というコンセプトを掲げてアマキオトの旅を始めることになりました。
「アマキオト」は鳥舞について勝手な空想をしていた時のことば遊びから生まれた造語です。
―朝が来た/窓を開ける/今日がはじまる/おはようおはよう/鳥が鳴く―
2011年まで劇場を中心に活動していた私が「自分が〇〇をしたいのではなく先ずは場所の声を聴き、空間からテーマを紡ぎ出す」という創作方法を初めて手にした時、目から鱗の連続でした。それまでの創作は自身の身体性の追求と発想のオリジナリティを重要視し、公演を行う空間とは全く別の稽古場で多くの時間を割き、いわば外から持ち込んだ身体をそのまま上演に持ち込んでしまうことが殆どでした。空間によって制約が起こり場に合った身体が創られてゆき、動きが自然と導き出されることの面白さと不可思議さに触れたことにより、自身の踊りに対する世界観の拡がりを感じました。それ以降、作品を考える上で「場所性」は切っても切り離せない重要な課題となり、「身体は所詮、お供え物?」というコンセプトを掲げてアマキオトの旅を始めることになりました。
「アマキオト」は鳥舞について勝手な空想をしていた時のことば遊びから生まれた造語です。
―朝が来た/窓を開ける/今日がはじまる/おはようおはよう/鳥が鳴く―